旅するようにくらす

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古典講座

古典講座というものに参加してみた。

私が命名するとしたら、「美しき日本文学の研究会」。

つまり、要約すると、大人の国語だ。と、思う。

 

テーマは明治時代の文学者、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の話。

生涯その居住地を移し続けていた彼は、自由放浪者とも言える。かもしれない。

ジャーナリストなどの、職を転々としながらも最後は日本の最先端の英語教育に尽力した、というところも非常に興味深い。

 

アイルランド人の父親とギリシャ人の母親の間に生まれた八雲は、幼少の頃(20歳頃まで)の複雑な家庭環境と宿命的な運の悪さを持っていたが、ヨーロッパからアメリカへ移ってからは良い仕事や出会いがあり、それが以後日本へ移るきっかけともなったと略歴から読み取れる。

 

八雲が北米から日本に来たのは1890年の春、カナダ、バンクーバーから横浜港についたとされている。そこから死没までの14年間を日本で過ごす事になるのだが、そこで見た日本という国に魅了され、その見解が書籍に残されている。

19世紀後半の日本は、当時の外国人にとってどう映ったのだろう。

 

八雲は初めてみた富士山をこう表現している。

 

「ただひとつそびえ立つ、その雪の高嶺は、薄もやに霞む絶景で、心が洗われるように白い。太古の昔ながらのその輪郭をしらなければ、人はきっと雲だとみまがうことだろう。.......まるでその山頂の幻想が、輝かしい大地と天との間にぶら下がっているかのようだ。これこそ、霊峰の山、富士山である。」

 

また、江戸から遠く離れた鳥取での体験、初めての旅館、盆踊りのことを究極の日本の美として語っている。まず、今なら東京から新幹線と特急で5時間で行けるものを、その頃は鉄道と人力車で一体何日かかってそこまでいったのだろう、また彼は道中の旅でどう日本を感じたのだろうか。旅館ではその外観の美しさ、内部の清潔さに感動しただけでなく、もっとも日本人の親切なもてなしに関しては強い衝撃を受けている。

全く文化の違う外国から来た西洋人にとって日本という国がまだ見ぬ世界であったと同時に八雲は自分の存在について改めて考え直したに違いない。

 

ここまでの話でも、なにげなくそこにある文化が、古来昔からのすばらしい伝統であったり、先人の知恵であったりすることを忘れていたようだったということに気づく。というより、無知である。といってもいたしかたない。日本人であるというアイデンティティ、日本特有の文化が伝統されているということを見直し、例えば、今日まで続く町の祭りなどを覗きにいってみるのもひとつのアイデアではないか。

 

もう一つ、古きよき日本に深く入り込んだ八雲は人間の感情についてをこう表現している。「人間の感情は万物に共振する」と。これは、共感できる論理である。

この世に生きるものには感情がある、それは古くて新しく、また特定できない場所にある。宇宙や空や動物はみな、同じつながりがあると捉えられる。

例えば、春は暖かく桜が咲けば嬉しい気持ちになる。今の時期のバンクーバーは雨が多く、憂鬱な気分になる。感情とは、そういった目に見えるものだけではなく、自然との密接な関わり合いがあると感じる。

 

「美しき日本」は実は、日本人の生活の中に息づいていて不思議とそれが日本を離れれば離れるほど、身近に見えることがある。

 

日本文化の継承など、そのような大それた話ではないが、まず知る、ということは必要だと感じた。それと、どこにいても日本人であるという誇りは大事にしたいと思う。

 

 

 

 

 

古典講座はそんなことを考えるきっかけになった。

私を誘ってくれた、賢い友人、ありがとう。

 

 

 

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講座の後に.....うすめの豚骨ラーメンin chinatown