旅するようにくらす

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さんすうの時間

先日は現地校の小学3、4年生のクラスにお邪魔してきた。

やっぱりカナダの子どもは物怖じしない、見ず知らずの他人が突然きても気にしない。

どんどん自分で考えて質問してくるし、逆にこちらの質問に対しては積極的に説明してくれる。

 

国語(公用語の英語の綴りなど)では母音から三文字の単語を綴ることから始まり、子音の音、サイレントE(マジックE)などフォニックスをつかった綴りの仕組みを理解し文字を認識していくという作業。英語を聞いて話せても、音と文字を一致させる作業は彼らにとっては挑戦である。母国語だからといってはじめから読んだり書いたりすらすらできるわけではないと改めて知る。

同じようなことを日本で教えてもそりゃ難しいはずだわな。(日本の英語教育についてはまた別のブログで)

 

すでにひらがなカタカナ、漢字を使いこなす私たち日本人は、小学校教育地点でとにかく読み書きを集中して教えられる。

もちろん音読などもあるが、ノートに文字を書いて覚える、という作業の方が今考えると目立っていたと思う。こちらでも某く◯ん式が随分流行っているようようだが、とにかく自分で書いて覚える学習の仕方が主流になっている。

 

読み書きに関して言うと特に、漢字。

日本の小学校一年生で教わる漢字は80字、二年生になると倍の160字、そして三年生になると200字となる。この量はどんどん書かないと確かに覚えられる量ではなさそう。そう考えると今の時代パソコンや携帯やなんかを使いすぎて、見れば認識出来る漢字も書くとなると記憶の奥に消えかかっている文字を呼び起こすような状態になってしまっているのは実にもったいない。

 

話は戻るが、日本教育に比べ読み書きの量が圧倒的に少なく、そうとう練習でもしない限りそこへのモチベーションが成長過程で保てるかは不明。

 

さんすうは丁度掛け算の筆算を学習しているところだ。

「九九」のような記憶暗算システムを使わず、数字の仕組み(パターン)の理解を重視した学習方法が使われている。問題を時間内にひたすら解いていく前に数字が縦と横に順番に並んだ表から1個づつ、5個づつ、10個づつ増えていくとどうなるか、減っていくとどうなるか、というようなパターンから数字の仕組みを一から理解していく。例えば三つのアイスを買った子が三人いるとすれば、全部でいくつのアイスを買ったことになるか。

教えるのに手間と時間ははかかるし一見効率が悪いように見えるが、わたしには実はとても深い意味のある教育とわかった。テストで良い点をとるというゴールだけが目標ではない。どれだけ早くやったかだけが大切なことではない。何故そうなったのかを考えることは経験として蓄積されていく。

 

人生も同じように結果を出せばそれだけで良いという状況ばかりではない、その過程に必要なことがある。全てスムーズに答えを導き出せたらどんなに楽だろう。でもそれでは楽しみもない、やりがいもない。時には手助けが必要なこともあるだろう。

 

算数・数学と数のつく学問は実はわたしも昔から得意でなく何故それが必要なのかわからなかった多くの生徒のうちの一人だった。でもこれらの学問はいつも答えがある。学年がかわってもどれだけ公式が複雑になっても原則はシンプル。難解な数字に惑わされているだけ。

 

大切なことは順を追って一つ一つ確実に問題解決をしていくこと。数字に惑わされず考えること。それが大切。行き詰まったら最初に戻ろう。

 

 

案外そうゆうシンプルなことなのかも。

自分で複雑にしてるだけだったのかも。

 

受ける教育によってその後の人生でできることというのは大きく変わってくる。

色んな考え方が生まれる。

 

 

 

こうして二つの国の教育という視点から文化背景をを垣間見ることができる私は本当にラッキーだと思う。

 

 

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Pink shirt day! Anti Bullying campaign

社会の中で起こるいじめをなくそう、他人におもいやりをもつという意味がこめたれたピンクシャツを着ての全校集会。

生徒主体のパフォーマンスが行われた。