信じられるのは自分だけ
色んな人が色んなことを言う。
共感して欲しい時もあれば、
アドバイスが欲しいともある。
でも答えはすでにある。自分の中に。
それは自分だけが知っている。
それは本能が知っている。自分の感覚が覚えている。
見えないのは何かに隠れているだけだ。
あるいは、見ないようにしているだけかもしれない。
胸に手を当てて、目を閉じて、耳を傾けて聞いてみる。
本当の自分の声を。
色んな情報を持つことは重要、人と会話をすることは重要。
でも流されてはいけない。
自分のことは自分が一番よくわかる。
そうあるべきだと思う。
ニット帽と温かいラテが似合う季節になってきた。
Walking on the beach park with warm hat and latte...
自由と孤独
夜寝るとき、まれに病院のベットを思い出す。
親もいない、明かりもないところ。「限られた」好きなことは出来るが、なんだか狭いケージに閉じ込められているようだ、と時に思う。
ベットとその周りの空間だけという狭い世界。
自分を「孤独」なところに追い込んで、その癖がなおらないので逆にそこから自由を考えるようになったのかもしれない。
私にとって孤独は心地の良いものではない。我慢しなければならない、ということの代わりに少しづつ確実に手に入れてきたのが「自由」であり、「自分の意志」なのかもしれない。
ハムスターの夢をみた。
たくさんのハムスターがでてくる夢は吉夢とも凶夢とも捉えらるようだ。
ただそれらが自分自身の姿だとしたら、
狭いケージの中に丸まり必死に自由になりたいともがいている姿に恐怖さえ覚える。それでも必死に回し車で回転し水を飲み、その小さな身体で本能のまま生きようとしている。
私は何を求めているのか、自由とはなにか。ただ好きなように振る舞うのが自由ではない。それはただの身勝手だ。
人によっては私を身勝手だというかもしれない。
だが、意志のあるところに道はある。
そう信じてここにいる。
孤独は辛いし寂しい、そして悲しい。それに責任が伴う。
自分が目覚めたところの空が灰色でどんなに暗くても今日を生きなければならない。
どんなに胸が痛んでも今日を生きなければならない。
バンクーバーの夕日。美しい景色。
八日目の蝉 〜大人の読書感想文〜
なぜ自分は自分なのか?
最近考えることがある。人間の性格や考え方はどこから来ているのか。
前世か、遺伝子か、それとも生まれてからの環境なのか。
私はどれもその答えだと思う。特に重要なのは生まれてからの環境だ。
人間の身体、脳というのは実に巧妙にできており、この世に生まれ出てから現在までの繋がりのことを少なからず記憶している。
もっと具体的にいえば、出会った人とその会話、幸せなこと、楽しかったこと、嫌なこと、寂しかったこと、驚いたこと、などの感情が無意識のうちに記憶として刻まれ、それが人格として形になっていくのだと思う。
小説「八日目の蝉」は生まれたばかりの赤ん坊が何者かによって連れ去られ、その女の手で4年間逃亡しながら育てられる過程をフィクションとして描いた話である。
生々しい人間模様と物語の展開におもわず感情移入してしまう。
以前に正しいとか間違っている、という観念はあるようでないというようなことを書いたが、(いつかのブログ「正しさと幸福」参照)その捉え方はさまざまだ。
例えばこの本に出てくる誘拐犯は本当に悪者だろうか。犯罪はもちろん社会のルールで犯すべきものではないと定義されている。しかし、この誘拐犯を応援するとまではいかなくとも恐ろしく感情が揺さぶられるのはなぜだろう。
わたしには感情があるからだ。
理性的、合理的に物事を解決できる力も時に必要である。
ただ生身の人間である限り感情というのは少なからずあるはずだ。
蝉に感情があるのかはわからないが、その短い一生に思いっきり鳴いて、その後は抜け殻だ。
人間はもっと複雑な生き物だと思う。
いくらシンプルが良いと考えても複雑だ。
だから生きるのは時に難しく感じる。
例え何があろうと、旅でどんなハプニングが起ころうと自分がここにいる限り、地に足をつけて歩いていかねばならない。
だからこそ、予期せぬ素晴らしいものに出会うこともできる。
かと思えば、もうこの世の終わりかというほど辛い出来事も起こる。
人には基本的にそれをコントロールする力があるようにできていると感じる。
自分はどこからともなく来たわけではない。
いるべくしてこの場にいることを、何かに押されてきたのではなく、理由があることを、そしてこれからも自分の全ての小さな選択が自分を作っていくことを確信している。
資格取得
救急救命の資格を取得した。
これは私にとって案外大変なことで、2日間(各8時間)の訓練を要した。
ある人にとっては簡単だと思うのだが、言い訳をすると、このような知識を要する医療系の分野の知識を学ぶのは全く初めてであったことが難儀であった。
言うて救急の応急処置の内容などは至ってシンプルなのだが、身体の内臓の話や怪我、病気などの専門的な内容が特に難しかった。
もう何年前になるだろうか、運転免許の実地試験で嫌という程すべったことを思いだいした。(いつかのブログ ”運転の話”参照)
そもそも、今回はそこまでひどくはなかったのだが、一回目の訓練の最後には筆記試験があり、たったの25問の選択問題を通過することができなかった。二回目は持ち前の?負けず嫌いを発揮し、多少勉強をした結果、少しは内容を理解することができて無事資格することできた。
一回目は日本に帰りたいと思うほどショックだったが、二回とも別の団体によるトレーニングだったので色んなケースの話が聞けてよかったと思っている。
ものは考えようだ。
今回、仕事上この資格を持っていた方が良いと考え、取りに行くことを決めた。
両日午前中はたくさんの人が来ており、仕事や学業に生かす目的で参加している人がほとんどだった。
特に、ナースやガードを現役で行っている人たちもいて、その知識や経験の話がとても興味深かった。
心臓マッサージや電気ショックの機械の使い方などの実技ももちろんあるが、怪我の応急処置の実技では小さな傷口の手当てだけでなく、重度の火傷や頭が割れた場合、目にペンが刺さった時の対応までさまざまな状況を推定して包帯の巻き方などを習った。特に強烈だったのは、銃撃をうけた傷口の処置方法。
めったにないと思われるが、欧米で暮らしているからには知識がないよりいいかもしれない。
私は持病があるにも関わらず、楽観的な性格も手伝ってか自分の症状や状態を理解しようという努力にかけていた気がする。
それから、しばらくの間、勉強するという姿勢を忘れていた気がする。
今回学んだことはそれだけではなく、自分や周りの大切な人を守る技術と精神力
を備えておくことの大切さ。救急の現場では自分の平常心を保つための心ののコントロールもしなければならない。
医療従事者のみなさん、本当にお疲れ様です。
人生は簡単なことや楽しいことばかりではないから、自分という人間を色んな意味で強くしておく必要がある。
旅は学びである。そして、旅する限り学びは絶えない。
I am proud of myself!
アニレボ2016
今年もやってきました。
バンクーバーのオタクさんたちが一斉に集まるオタクさんの祭典、アニメレボリューション!
今年もご縁あり、某出店ブースをお手伝いさせて頂きました。
以下、フォトレポ
出店者パス!
This was my sencond year,I enjoyed as a exhibitor again!
Japanese animation on hanging scrolls
現在バンクーバーで撮影中の話題映画「デスノート(ハリウッド版)」が目立ってた
Harajyuku Kawaii?!
とにかく凄いの一言。
Found the princess mononoke
太陽の下のサン発見
Japanese Kawaii is so popular here in Canada
大人気。日本のお洒落小物
I guess he is the world #1 famous guy currently.
話題のあいつ・・・
恋愛観
恋愛系の話、あんまり書かないね。
というか初めて書く。
世の中には色んな価値観を持ったひとがいるにも関わらず、同じ社会の中で生活をしている。その中で特に何か珍しい気持ちを持つに当たった人がいわゆる恋愛対象となるのだろう。
ただ「珍しい感情」というのに「好き」や「愛する」という気持ちがついてくるからなかなかの厄介さだ。
そして上手くいくとカップル、又結婚などという世間様が考え出した型に当てはまらないといけないというさらなるやっかみ。どうよこれ
もちろん絶対的にというわけではないけれど、それに当てはまりたがる人たちが実に多いのである。
結婚に関しては私の調査上?便宜上の理由でというのも少なからずあるが、恋愛というのはそれに比べて自由だ。
人間である限りやはり前述したような気持ちを持つのもごく自然なことなんだと思う。
先に書いたように人には色んな考え方があるので別段そんな風に厄介だなどと考えなくても良いだろう、という意見もあるかもしれない。
ただ自分のいたいひとといればいいと思う。
ただ自分の大事なひとを想えばいいと思う。
相手がいるから難しい事もあるけどね。
恋愛といえども小社会の人間関係。どれだけ親しくとも人は他人ですからそこらへんは尊重し合って付き合っていける関係が理想的だと思う。
自由を考えたとき、人は案外シンプルであるほうがいい気がする。
結婚観はまたいつかのブログで。
マンゴージュースとチョコレートケーキ
一見あわなさそうですが、案外合います。
健康診断
日本で健康診断行った事あったけど、外国で初めて健康診断行った。
診察所に行くとまずはレントゲンとってきて、と当然のように同じ建物ないの別の検査室に行かされる。レントゲン室では着替える際に、妊娠してないか、何回も聞かれる。それは日本と一緒。
で、なんか長いナイトガウンみたいなんきさされ検査。持病のことでなんか突っ込まれるかなと思ってたら、手術した?いつ?くらいの軽い感じの質問が2.3、「8歳の時です。」と答える私に、それっていつ?今何歳?
・・・・。引き算ができない問題。やっほー馬鹿ばんざーい
24年も前だったんだよね。
ま、それでとりあえずなぜか1万円もするバカ高いレントゲンはしゅーりょー。
診察所に戻って、名前呼ばれるまでしばらく待つ。案外すぐ呼ばれて奥の診察室に連れて行かれる。やたら狭い部屋に机とベッドがキツキツに置いてあり、その端の椅子に座ってチョット待てと言われる。
5分…10分……チョットちゃうやん
結局40分くらいの待ち時間の間、戦闘機?のデッサンのような壁の絵を眺めたり、ストレッチしたり、雑誌よんだりしてた。「お待たせお待たせ〜」と明るく現れたその先生は小柄でフランス語訛りのある、いかにも良い人オーラでてる人だった。
最初の質問は、日本はどこから?
「え〜と京都です。」「へ〜そうなの〜。」と言いながらベッドに座らされる。
次の質問。で、きみはヘルシー?
ん?はい、まぁヘルシーですけど、持病があります。海外遠征する際はいつも持ち歩いている主治医の手紙を差し出した。あーエライエライこうゆうの持ってこないひと一杯いるから、と先生はいいながら目を通す。
なるほどね。じゃきみはもう一つ余分の検査が必要。まぁ普通の血液検査だけどね、腎臓が悪くないか調べておく必要がある。でもココでやると高いから5ドルでできるとこ紹介するからね。
フムフム、なんだかわからないけど、悪いようにはしないと言わんばかりだ。
そして、診察。「じゃあとりあえずパンツ脱いでベッドに寝てください。この紙かけてね。(パンツになった足の上に・・)」
えっッッ?!!!!パンツ?!驚くわたしに、あぁ下着はそのままでいーよ。あぁ、びっくりした。そうだよな、パンツってズボンのことだよな。
言われた通りにして、先生がもどってきたら素早い手つきで視力、耳鼻喉を確認。
測り方めちゃ雑。
スプーン片目に当てて手元の紙のアルファベット読む。片目3つづつくらいだけ。あ、そういえばコンタクトしてるの?いや、聞くのおそっ。
最後に両目で文字が読めるかのテスト。”He would be...なんちゃら。
オッケー次!
ズボン脱いだのは、お腹みるのと脚気。それ履いたままでも出来たよな。
エイズと梅毒用の血液検査。それは一本だけなので一瞬。
でもバイドクってしらなくて、先生曰く日本語?らしいけど、ちょっと
きみは若いからまだ知らないんだね。って。いや、単なる知識不足です、トホホ
次の用事があって急いでいた私はそれで先生にお礼を行ってお邪魔した。
次の日に例の血液検査を受けに行ったが、それはそれでまた一時間待たされてまあくたびれた。
良い結果だと良いと思います。
お疲れ様です。
採血はきらいじゃない
最近すっきりしない天気
毎日バブルティー