ワークアウト
最近はというと、筋トレにハマっている。
勢い余って、スポーツウエア、ヨガマット、ついでにプロテインも買い揃えてしまいまった。
この形から入る感じ、そして大してなんも考えず、やってみる感じ。
やはり単細胞生物と言われても仕方ないね。ハマりだしたら猪突猛進。
とりあえず1週間やってみた私のメニューは朝(出来れば)早起きして、近所の公園走る。100mを5往復、1キロのインターバルランニングが大体10分くらいで終わるので、家に帰って水分補給。それからすぐに腹筋トレーニング。5分間10種類のトレーニングを2セット。
という実質30分以内で出来る私のトレーニングメニュー。
そんな超スパルタではないけど、私には丁度良いくらい。
そもそも、朝起きるのも遅くて仕事をしてると疲れやすいので、体力向上と健康維持に始めた。
それがやり始めるととことん突き詰めるのはDNAのせいか、食生活にも気をつけはじめたから驚き。
で、とりあえずの効果はというと、血行促進。身体があったまってる感じがする。筋肉痛がなくなったし、疲れにくくなった。気がする。それに食欲増加。サラダなど油分の少ないものを小分けにして食べる。
あと腹筋を続けることでお腹が割れてきた!ヤバイ。なに目指してんにゃろな。
ま、そんなこんな私は元気そうです。
これ目指してる。
走ってる近所の公園。朝の8時にはもう暑い。
プロテイン、飲んでます。
学校近くのオシャレレストラン。地元農家のお野菜を使ったサラダ。
雑草魂
昔からやりたい事がたくさんあった。
カラフルで自由な人生が生きたいと、十代の頃に決め、
やりたい事は全部やろうと心に誓い、全部やった。
早く大人になりたくて、早く成長したくて、生き急いでいた。
16歳のとき、ホスピタリティ(接客や営業)の勉強が本気でしたいと思い、専門学校に見学にいった。
「専門学校は高校を卒業しないと入れないからあと2年待って」と学長にいわれ2年後に入学した。
専門に入る前の夏、英語を話す練習をしはじめたのは、日本で一番外国人客が多いという(今はどうか知らんが)某ホステルでボランティアをしたのがきっかけだ。
母の勧めで、なんの気になしに行った活動だった。
学校では英語が得意な方だったが、カップラーメンの作り方さえ説明できないという局地に焦りを覚えたのがつい昨日のようだ。
思えばその経験が私を今日の旅路へと運んだのではないかとひしひしと感じる。
今までの人生はやりたいことを自分で決めて、その道を切り開いてきたと思う。
過去にこだわりすぎるのはよくないが、来た道をたまに振り返ってみると見えることがある。何故今ここに来たのか、ここに立っているのか。
これは以前にも来た道とか、感じた感覚とかを思い出す。
感性やスキルを磨くのに、それはわりと重要なことだったりする。
自分の居場所を見失わないためにも、再確認するためにも過去を考えるというのは必要だと思う。
ブログやSNSはそういう意味では悪くないツールだ。
もちろん同一人物なので基本的性格は変わらないと思うが、出来事に対しての考え方や感じ方が環境によって随分違うことがわかる。その時間の経過や経験、場所にも左右されるのでもっともあたりまえのことかもしれないが。
人生は必要な時に必要なものが来るようになっているのかもしれない、とよく思う。
失敗や不安要素もあるかもしれない、だけど死なない限りゲームオーバーにはならない。
自分の辿ってきた旅路の感覚を大切にして、
わたしは、もう少し挑戦しつづけたいと思う。
今週は8時からの朝番。この香りは癒し。
A flower from customer..
トイレが近い
私は異様にトイレが近い。
「トイレが近い」とは日本語で頻繁にトイレに行きたくなるということ。
最初にこれ言った人だれや。やっぱり日本語って面白い表現が色々ある。
とにかくどこでもかしこでもトイレに行きたくなるんで、医者に病気かと確認したこともあるほどだ。医者曰く、「君の体の大きさに比例して、ただ膀胱が小さいだけじゃない」とのこと。案外普通の答えだったな。
体の水分補給のため、普段意識して水を取るようにしているのだが、特にアルコール、紅茶、緑茶、コーヒーなどは利尿作用が高く、すぐに何回も行きたくなる、という問題がある。
つい最近、出先でビールを飲み、そのまま別の目的地へ向かう時のこと。
割と長い距離をバスを乗り継いで移動しなければならなかった。
一つ目のバスで、ずっと我慢していて、限界が近づいたその時に乗り換えの停留所に到着。近くに4件連なった飲食店が見えたので、助かったと思い、近づいてみる。
4件は左から、コンビニ、中華料理屋、ケンタッキー、インド料理屋。
どれも寂れていてあやしい。まず、食べ物を求めてはいかないだろうという佇まいのその店舗群の中で一番トイレが綺麗そうな?ケンタッキーにとりあえず突入してみる。とにかくトイレにいければ・・
店内は狭く、何組かの客が注文を待っている。店の奥を覗いたが、スタッフオンリーの文字・・やな予感。
お客さんの注文の邪魔をしたくなかったので、次にコンビニに聞きに行く。
店のドアに、トイレない!と張り紙があったが、それは見なかったことにして、店員にきく。
とりあえず、いかないと・・・!
あれ?え?やっぱない。
で、次にケンタッキーにまた行く。
トイレ、ない。
次、中華料理屋。
だれもいない。中国人のおばはん、英語つうじない。
やっと理解されたとおもったら、は?トイレ?ないよ。
えーーーーーっ!ここらの飲食店どーなってんねん。
一番望みの薄そうな、最後の望み、インド料理屋に駆け込む。
インド人かネパール人かしらんけど(顔すらもう見てない)
こっちの緊急性もしらず、
ああ、トイレはありません。
えっ・・・・もうおしまいや。
こいつら終わってる。うそやうそや、おまえら飲食店のくせにトイレないとか終わってる。諦めてバス停に戻るが、次のバスまであと15〜20分くらいある。
うーー・・・う・・・
向かいにベトナムのフォーの看板がふと見えたので行ってみることに。
そうだ、妊娠してておなかがいたい。やばいって言おう、絶対トイレ貸してくれる。
そんな自分が天才と思えるようなアイデアを思いついたかと思ったその直後、
また、落胆することになる。
店、つぶれてる。ガン。
その先に学校があったので、覗いてみるが学校はさすがに不審者と思われるだろうし、もうバスの時間も迫っていたのでバス停に戻ることに。
ああ、吐きそう。という思いでバス停に戻る。
こうなったら、もうその辺でするしかない。と覚悟を決めてバス停の後ろ側に歩いていこうとしたその瞬間・・・・。ええっ
工事現場とかイベント用の簡易トイレボックス・・?っていうのかな、正式名称しらないけど。
が、目の前に急に現れた。
天の助けだと思って駆け込んだ。
ちなみに、カナダにきてから何回かこのボックストイレにお世話になったが、日本のそれと違って中になにか工夫がされているらしく、全然臭くない。
カナダにきた際には是非使ってみて。
日本は狭いからか、トイレが近い人が多いからなのか、どこにもかしこにもすぐトイレがあるような気がするが、こっちは狙いを定めておかないとなかなかトイレにめぐり合うのが難しいことがある。(駅とかにないからね)
アメリカでのトイレエピソードもまだ色々とあるが、それはまあ次回にお話しするとして。
私の救世主。ブルーボックス。
今日も世界のどこかにマーキング。
わたしがブログを書く理由
わたしには物事を深く考えすぎる癖がある。同時に物事を軽く考えすぎてしまう癖がある。時には考えなさすぎて、よく知る家族、知人にさえ、単細胞だの、自由人だの、瘋癲(ふうてん)だのと言われることも珍しくない。上記の言葉が必ずしも考えが欠落しているとは言い難いが、わたしにはそう取れることが多い。
事実そんなところがあると、自負している節があるからだ。
前者に関しては、時に考えがまとまらず、行き先を失ってしまうことがある。
前が見えない、見えていないのだ。(自虐ではありません)
十二支の干支でいのししが一番最後なのも、そういうところに起源があるという。
結局、考えても考えていなくても突っ走り、周りを驚かせるということに多少の悦びを感じているからこそ、この性格が変わらないのだと思う。
仕事ばっかりしてないで、夜遊びばっかしてないで、携帯ばっかりいじってないで、
たまには休んで自分と話してみると面白い。
最近どんなことがあったの?嫌なことがあった?心踊ることがあった?
もう一人の自分はやけに冷静だ。
忙しい毎日は置いておいて、時には心を落ち着ける。
自分との対話を文字に起こしてみることは案外気持ちがいい。
もうすぐわたしの大好きな夏がやってくる。
Summer has come..
馬鹿とクール
馬鹿とクールは紙一重だと思う。
馬鹿を貫き通すとクールになる。
というか、ある意味ではそのバランスが重要だと、私は思う。
例えば、人がどこからどう見てもダサいと思う服をさらりと着こなしている人がいたとする。それはクール。
例えば、楽しい事をたのしいと、声を上げて楽しむ事。それはクール。
例えば、人には危ない橋に見えるような事を何を言われようが自分の決めた事をやる。それはクール。
「馬鹿」とはしばし否定的な意味で使われる事が多いが、(とくに関西人には阿呆と言われるより刺激が強い事がある)こうして上記のように考えてみると肯定的にも捉える事が出来る。
馬鹿は不器用ではあるが、実は素直で一直線なのだ。
なにかに没頭している人には「専門馬鹿」「⚪︎⚪︎馬鹿」「馬鹿正直」「馬鹿力」などとそこに少なからず愛を感じる日本語表現があるように必ずしも否定的ではない事が分かる。
没頭しすぎでなにか人に感動を与える馬鹿もいるくらいだ。
はたして自分の否定する馬鹿は本当に馬鹿なのか。
いつも馬鹿だと思っている奴をもう一度見直してみると面白いかも。
何も考えていないようなあいつは実はなにか考えているのかもしれない。
あるいはただの素直で一途なだけかもしれない。
自分の気持ちに素直に、人を傷つけたりしなければ正直に生きる事はクールだと、私は思う。
最後に、物事には多角的な視点があると気づかせてくれているこれまでの環境に、
周りの人たちに感謝します。
PNEでみつけた謎のアート。
ジョギングはじめました。
こんにちは。ご無沙汰しています。
ほんの少しの間日本に帰っておりまして、やっとブログを書く気になったので書きます。書きたいネタはたくさんあったのだけれど。
日本のみなさん、滞在中はなにかとお世話になりました。
カナダのみなさん、ただいま〜、またよろしく仲良くしてやって下さい。
さて、イキナリですがわたし「スロージョギング」というのを始めました。
理由は二つ。
一つは、時差ぼけを避けるため。日本との時差は16時間。行くときはいいんやけど、帰ってきたら夜寝られないと何人もの人に聞いた。
長期的にみてそんなことはしんどいので避けたい。昨日夜中に帰ってきて、1時過ぎに寝てからなんと起きたのは16時間半後、時計が4時・・・・。ん?
もってる時計全部みても4時。夕方の。
単に疲れただけかと思ったが、これは正真正銘の時差ぼけだ。やばい。
今から運動して体を動かせば夜寝られるかな。という相変わらずの単純発想から。
二つ目。帰国中に主治医に今後の健康について相談したところ、やはり運動不足は運動して解消したほうがいいとのことで、ちょっと走ってみたら。ってことに。
ただもともと体力ないので真剣にやらなくてもいいらしく、かなり走り込んでいる父から「スロージョギング」したら、というアドバイスを取り入れてみることにした。
その走り方は筋力をつけることが目的ではなく、ダイエットや健康維持にとても効果的らしい。また、内臓脂肪を燃焼しやすくメタボや高血圧などの生活習慣病、がん予防の効果もあるということで、やってみる価値がありそう。
とはいえ、いきなり走るのは厳しいのでまずは近くの公園まで1時間くらいウォーキングと半々くらいでやってみた。
早速やった感想は、オーーッ!全身に血が巡ってる感じ!心臓のポンプがしっかり動いてあたまやおなかや背中、指先や足にも血が送られている!!!
公園は湖や緑もいっぱいで空気がよく、住宅街は外国特有の洗剤の香りや懐かしい風景を感じる。うんうん。いい感じ。
続けたら腰痛防止とか、体力向上にも繋がるらしいので三日坊主にならぬよう、やってみようと思ってる。
ま、まず夜寝られますように。
ロス乗り継ぎの26時間の旅。
これらの自分の体重より確実に重いであろう荷物たちを担いで移動してたらいろんな人に心配された。
旅とは孤独で厳しいもんですよ。
バーナビーのセントラルパーク。湖の周りを走ってみた。
カナダも春になっていた。
そういえば日本では4月は新スタートの時期だな。がんばろ。
あれから5年
時間は誰しもに平等なはずだが、その感じ方は人それぞれだと思う。
もう5年というか、まだ5年というか。
東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故から今日で5年だ。
日本から7500キロも離れた北米西海岸で何気ない1日を過ごしたが、今日は一日中その事を考えずにはいられなかった。
まあ、考えていても何もならないけど、少なくともこうして頭の中を整理して、発信する場があるので発信する事にしよう。
震災直後は第二の戦後といわれるほどの惨事であった東北も今では学校、病院、道路などインフラ復旧はほぼ9割がた進んでいる。とはいえ、仮設住宅や行方不明者の捜索などの課題はまだまだ山積みのようだ。
最新の情報によると、震災での死亡者約1万6千人、行方不明者約2500人、震災関連死3400人、震災による犠牲者は合計2万1千人以上。また避難者は今でも17万人以上いるという現実。
阪神淡路大震災では5年後には仮設が0になったが、今回の東北では未だ6万人以上の人が仮設住宅に住んでいる。一般的な”仮設”住宅はその名の通り、耐久性のあるものではなく、住むには2年が限度とされている。しかし、その倍以上の5年という年月をそこで過ごしている、過ごす事を強いられている人たちがいる。
なぜそのような事が起こっているのか。原発の影響ももちろんあるが、今回の災害では津波の被害もあり、土地の持ち主の確定が正確にできない、また建築資材の高騰化などが背景に挙げられる。
家に帰りたいのに帰れない、ということを考えてみよう。
ただただ、立ち入り禁止区域になってしまった。その後帰宅できる状況になっても、生活基盤すら整わない場所に誰も寄り付かない。
家が津波に流されてしまった人。帰宅の見込みが持てず、思い出のつまった家の取り壊しを決意した人。どこか別の都道府県に移住をした人。
など、想像を絶する思いを今も抱えている人がいる。
勝手に家を出て放浪をさせて頂いているというなんともありがたい身分のわたしがいうのも説得力がないかもしれないが、考えるだけで身が切られる思いだ。
日本にいる限り、自分にも起こりえたかも、または今後起こりうることもあるかもしれないこの自然の脅威に日本人として、どう考え、アイデアを出していくか、とても必要なことだと思う。
まさか原子力発電所の核燃料の取り出し作業をやろうというのではない。
ただ、今一度、自分に何かできることは本当にないのか、そこが直接の被災者の人たちだけでなくわたしたちがそれぞれに考えるべき課題の一つであると思う。
一個人が声を上げる、行動を起こすというのは住んでいる場所などの条件や忙しい日常の中ではでは困難かもしれない。
でも、思いを馳せるというのも案外無駄なことではないと思う。と思い起こさせてくれた今日、3月11日、という日。
あの瓦礫は処理されただろうか。
一週間のキャンプ生活で・・・
ボランティア活動をした当時。
困難に立ち向かい、みんなが前向きに一生懸命生きていた。
あの町はどうなっているだろうか。
美しい日本の風景がそこにあることを、忘れてはならない。