本能と知性
「自分の感情の責任の所在は完全に自分にあって、他人にそう「思わされている」という考え方は嫌い。「不快にさせられている」のではなく、自分が勝手に不快に思っているだけ、と考えれば、他人を変えようという考えがなくなり、自分の考えをシフトすればいいだけなので生きやすくなる。自分の中のネガティブな感情が少なければ少ないほど、自分のストレスは減るので、他人のためというより、むしろ自分のためになる。」
*引用本能を知性で乗り越える<バイリンガルニュースMamiの文字おしゃべり>Mami - 幻冬舎plus
以前からブログのテーマとして取り上げている、セルフコントロールについての心の持ちようと考え方が納得するようにまとめられている文章を発見したので紹介する。
ストレスで息苦しくなる感覚は今も覚えている。
それは一番健康に良くないし絶対に避けたい。
日本で10年間の社会人経験から学んだ。
だから今、あの時の、20代の自分を客観視してそう思える。
我慢することのストレス、やらされることのストレス、そして社会が作り出す無言のプレッシャー、それらは嫌というほど身をもって感じた。
嫌だ、とわかっていても見ぬふりをして先に進んでこれでいいと自分に言い聞かせることで自然の感覚が麻痺してくる。日常の忙しさがまたそれを加速させる。
自分の考えをシフトするには環境の変化や人との良い出会いがなければ実践することは難しいかもしれない。
無論、社会や他人との関わりあいの中でしか「自分」を見出すことはできない。
だから見極めることが大切。自分になにが必要か。
ただ環境が変わると、物事の見方が変わる。
それは誰がやってくれることでもないし、待っていても天から降ってくるものでもない、と思っている。
例えば今、仕事かえりに電車の中で下を向いて携帯の画面からこのブログを読んでいるとしよう。
休みの日に早起きしてコーヒー片手にパソコンで読むのと読んだ感覚が違うと思う。
環境を変えるってのはそんな小さなことでもある。
10年社会人も良い経験だったし、別の見方ができるということに気づけた今
は案外気が楽だ。
そういう意味でも今の立ち位置や自分の決めた生き方がわたしに合ってると思っている。
自分のため、そして自分の大切な周りの人のために生きられる知恵を付けよう。