自由と孤独
夜寝るとき、まれに病院のベットを思い出す。
親もいない、明かりもないところ。「限られた」好きなことは出来るが、なんだか狭いケージに閉じ込められているようだ、と時に思う。
ベットとその周りの空間だけという狭い世界。
自分を「孤独」なところに追い込んで、その癖がなおらないので逆にそこから自由を考えるようになったのかもしれない。
私にとって孤独は心地の良いものではない。我慢しなければならない、ということの代わりに少しづつ確実に手に入れてきたのが「自由」であり、「自分の意志」なのかもしれない。
ハムスターの夢をみた。
たくさんのハムスターがでてくる夢は吉夢とも凶夢とも捉えらるようだ。
ただそれらが自分自身の姿だとしたら、
狭いケージの中に丸まり必死に自由になりたいともがいている姿に恐怖さえ覚える。それでも必死に回し車で回転し水を飲み、その小さな身体で本能のまま生きようとしている。
私は何を求めているのか、自由とはなにか。ただ好きなように振る舞うのが自由ではない。それはただの身勝手だ。
人によっては私を身勝手だというかもしれない。
だが、意志のあるところに道はある。
そう信じてここにいる。
孤独は辛いし寂しい、そして悲しい。それに責任が伴う。
自分が目覚めたところの空が灰色でどんなに暗くても今日を生きなければならない。
どんなに胸が痛んでも今日を生きなければならない。
バンクーバーの夕日。美しい景色。