あれから5年
時間は誰しもに平等なはずだが、その感じ方は人それぞれだと思う。
もう5年というか、まだ5年というか。
東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故から今日で5年だ。
日本から7500キロも離れた北米西海岸で何気ない1日を過ごしたが、今日は一日中その事を考えずにはいられなかった。
まあ、考えていても何もならないけど、少なくともこうして頭の中を整理して、発信する場があるので発信する事にしよう。
震災直後は第二の戦後といわれるほどの惨事であった東北も今では学校、病院、道路などインフラ復旧はほぼ9割がた進んでいる。とはいえ、仮設住宅や行方不明者の捜索などの課題はまだまだ山積みのようだ。
最新の情報によると、震災での死亡者約1万6千人、行方不明者約2500人、震災関連死3400人、震災による犠牲者は合計2万1千人以上。また避難者は今でも17万人以上いるという現実。
阪神淡路大震災では5年後には仮設が0になったが、今回の東北では未だ6万人以上の人が仮設住宅に住んでいる。一般的な”仮設”住宅はその名の通り、耐久性のあるものではなく、住むには2年が限度とされている。しかし、その倍以上の5年という年月をそこで過ごしている、過ごす事を強いられている人たちがいる。
なぜそのような事が起こっているのか。原発の影響ももちろんあるが、今回の災害では津波の被害もあり、土地の持ち主の確定が正確にできない、また建築資材の高騰化などが背景に挙げられる。
家に帰りたいのに帰れない、ということを考えてみよう。
ただただ、立ち入り禁止区域になってしまった。その後帰宅できる状況になっても、生活基盤すら整わない場所に誰も寄り付かない。
家が津波に流されてしまった人。帰宅の見込みが持てず、思い出のつまった家の取り壊しを決意した人。どこか別の都道府県に移住をした人。
など、想像を絶する思いを今も抱えている人がいる。
勝手に家を出て放浪をさせて頂いているというなんともありがたい身分のわたしがいうのも説得力がないかもしれないが、考えるだけで身が切られる思いだ。
日本にいる限り、自分にも起こりえたかも、または今後起こりうることもあるかもしれないこの自然の脅威に日本人として、どう考え、アイデアを出していくか、とても必要なことだと思う。
まさか原子力発電所の核燃料の取り出し作業をやろうというのではない。
ただ、今一度、自分に何かできることは本当にないのか、そこが直接の被災者の人たちだけでなくわたしたちがそれぞれに考えるべき課題の一つであると思う。
一個人が声を上げる、行動を起こすというのは住んでいる場所などの条件や忙しい日常の中ではでは困難かもしれない。
でも、思いを馳せるというのも案外無駄なことではないと思う。と思い起こさせてくれた今日、3月11日、という日。
あの瓦礫は処理されただろうか。
一週間のキャンプ生活で・・・
ボランティア活動をした当時。
困難に立ち向かい、みんなが前向きに一生懸命生きていた。
あの町はどうなっているだろうか。
美しい日本の風景がそこにあることを、忘れてはならない。