旅するようにくらす

明るく楽しい、旅するブログへよ〜こそ

深いかもしれない教育のはなし

「先生」としてクラスを持つと実に色んな生徒がいるわけだ。


どんな見た目の子も、どんな発想の子も、どんな性格の子も、生徒の個性、として見れるかどうかが教師の腕の見せ所だと思う。


人は知らず知らずに、自分とは違う価値観を持っていたり、違った見た目の人間のことを少なからず差別していると思う。差別というと強く聞こえるが、実にはるか昔から人間がやってきた行為の一つだ。そして、それらをカテゴライズし「偏見」という見方で見てしまっている。
それを意識しているかいないかで言動に大きな差がでてくる。


偏見からくる言動は否定的なことが多く、人を悲しい思いにさせたり、不快にさせたりするのだ。(負の感情のコントロールについては前回のブログをチェック)

「偏見」とは文字通り、偏った見方のことで、一つの方向からしか物事を見れていない、誤った教育や不確かな情報からくるデタラメだ。その他が、正しくない、とでも言わんばかりの発言に耳を疑うことがある。逆を言うとある方向からはよく見えているらしい。

 

先生は神でも仏でもない一人の人間なので、全てを寛大に平等に、というわけにはいかないかもしれない。

ただその中でその個性を伸ばし、学びの楽しさや、社会での生き方を教えられたらどんなに素晴らしいだろう。