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ハートのつぶやき

この内容は今年の年始に「心臓病の子どもを守る京都父母の会」の依頼にて執筆し、同会会報の「ハートのつぶやき」というコラムに原稿を連載して頂いた時のものになります。

個人的な内容なので、正直ブログへの投稿は何ヶ月も悩みましたが、今日、わたしの人生の中で非常にお世話になった方が心臓の手術を受けられたとの一報を聞いて、投稿をすることを決めました。

私たちはこのような情報社会の中に生きていますが、不確かな情報も溢れ、なかなか手に入れたい情報が入らないことも現実にあります。私の実体験からもしも誰かの、何かのお役に立てることがあれば幸いに存じます。

 

Mさんの早期回復をお祈り申し上げます。

 

 

〜本文〜

心身のバランスは大切です。


それは、病気を持った人もスポーツ選手にも言えることです。
心と体は常にフル稼働している状態ですと、どちらかに負荷がかかってしまい、うまく動かなくなってしまうことがあります。
それと 、同時に大事なことがあると私は思います。”考え方”です。


シンプルなのですが、うまく行くと考えれば実に上手く行くことが多々あるのです。もちろん不安や恐れが100%ないとはいえません。ただ上手くいくことを自分の中でなるべく具体的にカラーで、思い描きます。それは現実になるのです。

わたしは先天性心臓病を患っており、小さい頃から、入退院の繰り返しでした。開胸手術含め、3度の大きな手術を受けています。


2歳の頃、地元・京都の病院でほぼ助かる見込みが無いといわれた私は、両親によって大阪の国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)に連れて来られ、現在まで通院しています。
両親のその選択がなければ、今の私は存在していなかったと思います。

小学校では、他より体力がない私でしたが、できる限りの活動には参加しました。競争や持久走以外の体育、特に水泳は好きで、300mを自力で泳ぎ切ったことが自慢でした。
山登りの遠足では、何かあった時のために担任の先生が、酸素ボンベを背負って登ってくださったのを覚えています。
小学校3年生の時に右室型単心室症フォンタン術を受けました。
クラスの皆が千羽鶴やイラスト付きの手紙を送ってくれて、とても嬉しく何度も読み返しては、皆と楽しく学校生活をおくっている自分の姿を毎日想像していました。

中学校からは、体力がついたこともあり体調が落ちつき、学校生活は楽しく他と同じようにスムーズに送れました。ただ、思春期ということもあってか、体に手術跡の傷があることが気になり、服装などにとても敏感になっていた時期でもありました。

そんな葛藤をかき消してくれたのは、友人たちと創り上げたパンダ園でのファッションショーです。同じように開胸手術を受けた友人や、そうではないファッションに興味のある友人たちも一緒に、傷を上手く隠した水着やドレスの提案を京都造形芸術大や、スポーツメーカーミズノさんの協力を得て創り上げました。


傷を隠すことに必死になっていたわたしが、それをしたことで、逆にそんなに傷を隠す必要があるのか?という疑問と共に、それが自分ががんばった、生きてきた証なのだから、見せてもいいんではないかという結論に達しました。

それからも一年に1回の通院と4年に一度のカテーテル検査をしていますが、今は仕事をしたり、海外旅行へ行ったりも困難なく、自由にしています。

もちろん、自分が選んだ好きな服をきて。

 

入院、闘病生活での辛かったこともありますが、病気の事を疎ましく思ったり、不満に思ったことはありません。先天性の病気で、物心つく前からのことだったというのもあるかもしれませんが、わたしにとってはそれが普通のことでした。また、人との出会いや、お見舞いや、それにもまさる感動がありました。
周りで支えてくれた家族をはじめ、病院関係者の方々、皆様には感謝が尽きません。


何事も不安な気持ち、不平不満を抱えたままでは上手くいかないと思います。
今の自分の体の状態と、支えてくれているひとに感謝し、前向きに今自分がやるべきことをやること。
そうすればおのずとやりたい事、なりたい形に近づいてきます。


生徒たちにもよく言っているのが、シュートをしようと思わないとゴールには入らない。
当たり前のことかもしれませんが、この前向きなチャレンジを私は忘れてはならないと思います。


気持ちと体は一体です。
皆違った人間を生きていて、それを作るのは自分次第なのです。
まずは、今やるべきこと、やれることをやっていく、そして健全な生活を送っていくことが、支えてくださった方々への恩返しでもあるのではないでしょうか。

 

心臓病の子どもを守る京都父母の会 パンダ園