カリフォルニアの奇跡
実は、アメリカにおじいちゃんがいる。
これまたカリフォルニア風を吹かせたかっこいいおじいちゃんである。
今日はそのおじいちゃんに会いに行ってきた。
こちらに来てから全然連絡が取れなかったので、どうしたものかと
少し場所は離れているのだが、直接行ってみることにした。
道中、元気でいるように、会えるように考えながら懐かしい景色、感覚を頼りに歩いた。
前回のブログで少し触れたのだが、こっちにいる際に設計のお仕事を手伝っていたことがあり、フリーでやっている設計士さんにお世話になっていた。
まさにその設計士、Jさんが、わたしの親愛なるおじいちゃんなのである。
もっとも血は繋がっていないが、日本に帰ってからも、毎年クリスマスカードやカレンダーを欠かさず送ってきてくれて、気にかけてくれているなんとも親しみのある存在なのである。
彼は、戦後の60年代、広島から船でこのアメリカにやってきた。
当時は飛行機などバカ高く、考えられるようなものではなかったらしい。
船での航海は約2週間、サンフランシスコのシンボルでもあるゴールデンブリッジが見えたときには非常に興奮したという。
その後、'86年に事務所を設立し、今のCADのような機械を使わず、すべて手書きの図面を書いてきた。サンフランシスコ市内には彼が手がけた建築物がみられる。
そして、今なお、昔ながらのお得意様からの注文を受け、現役でやっている。
パワフル。
わたしはただ図面の用紙に線を引いたり、計算をたまに手伝っていたりしたんやけど、何しろフィートやインチがややこしく、わたしが電卓で計算するよりJさんが暗算する方が早いという、なんとも役に立たないバイトだった・・・・
もっとも、働くというよりはスタバなどでくっちゃべってることの方が多かったような気もする。
好きな日本のドラマの話(わたしはあまり見ないけど、Jさんは良く見る)から、アメリカでの生活情報、日本人初期移民の話など興味深い話を色々と聞かせてもらった。
ところで今は、私が滞在していた5、6年前に比べ市内の時価がかなり上がり、スラム街などの開拓が進められているようで、住む場所をなくす人もいれば、新たなビルや学校の建設に伴い、仕事が舞い込んでくるような人たちもいる。
そのようなことでJさんも今、市内の中心の料理学校の設計図面を任されているという。
機械ではコピー&ペーストのような簡単な作業でもイレギュラーな規定に沿わないなど、正確さに欠けるところはあるが、人の手による丁寧な作業だと時間をかける分、長年の技から繊細なものに仕上がるのではないか。
さらにこの国では『日本人』というブランドが信頼性を高めているように思う。
アポなしでJさんとの再会はほぼ奇跡的だった。
連絡が取れなかったのはどうやら旅行にでていたらしい。
昨日帰ってきたようで、今日は朝から仕事をしていて事務所にかえったのが丁度、
わたしが着いたタイミングだったのだ。
サンフランシスコの滞在も残り少ない日数となったので、思い切って行ってよかった。
ある人からこう言われた。
「キミは僕の知る限り、今までの人生、とても運がいいとおもうよ。」
ハイ、わたしもそう思います。
とにかく相変わらず、仕事をしゆっくりご飯を食べ、コーヒーを飲みながら”数独”をする。早寝早起き、たまに運動をする。そんな生活をしているようだ。
なんせ、本当に元気そうでよかった。
本人はもう半世紀こちらにいるのでもうそろそろクタバルといっているが、
是非長生きしてもらいたい。
というわけで、今日の運に感謝し、寝るとしよう。
今日は何を食べたかって?
チラシズシという名の海鮮丼!!!!
いくら、うに、とろ、まぐろ、えびなどの魚介がこっちは新鮮で日本にいるより贅沢や。
ちなみにスタバラテもやっぱりなんかこっちの方が美味しい気がする。
ごちそうさまでした〜ハッピー♪