瞑想
「瞑想」をはじめて今日で12日目。
最近は朝ご飯食べてからか夜寝る前一日一回試みている。
別になんかの宗教とかじゃあないよ
瞑想ってやればやるほど奥が深くてもっと知りたくなる。
例えば飛行機に乗った時、雲の上はいつも晴れている、
そんなことは忙しい日常生活の中でみんな忘れている事実だと思う。
そうゆうことを思い出させてくれる効果がある。
自分の感情をコントロールするのが上手になってきた感じもしてる。
怒り、悲しさ、寂しさ、緊張、焦り、各種欲求などを傍観することが出来る。
まあ忙しくてそんな時間ない、という人もいるかもしれないけど、一日の中の10分の投資が自分の人生に相当の影響力があるってことに気づくはず。
なんでもやってみるもんだな、と思う。
私の場合はこころの余裕がたくさんできてもっと時間を上手に使えるようになってきたかな。
また気が向いたらその数え切れないほどの効果を書くことにしよう。
こちらは初心者におすすめの瞑想説明書
How to Meditate - How to Meditate
この怪しげなおっさんが説明してるビデオも要注目Peace
ミニマリズム
一カ月ぶりの更新ということで。ども、ご無沙汰してます。
一年前の今頃は日本に帰っていて、桜がちょうど満開の春の素晴らしい季節が楽しめた。もうそろそろ満開な頃かな。
ここバンクーバーではまだ季節の変わり目の雨が降り止まない。毎日、雨、雨、雨。そしてまた雨。
個人的にはじめじめした雨は好きじゃない。雨の音を楽しむ、などという考え方もあるが、私はカラッと晴れた青空が好きだ。
ここ一ヶ月は身の回りの整理期間と勝手に決めて持ち物から何から自分に不要なものの処分、そして整理を試みた。
単にものを減らす、とう概念ではなく重要なのは整理すること。
そうする事で大事なもの、本当に必要なものが見えてくるという気づきがあった。
クローゼットはまるで自分の脳の中のようだった。苦手だった服の整理をすることは意外に頭を使うし心を使う。
今まで手放せなかったものを手放したとき、気分が変わる。
何故そんなに執着していたのかという気すら起こる。
たまには思い切ることも必要だ。
そして本当に大事なものの存在を理解しもっと大切にしようという心がうまれる。
全ての選択は自分次第だ。
さんすうの時間
先日は現地校の小学3、4年生のクラスにお邪魔してきた。
やっぱりカナダの子どもは物怖じしない、見ず知らずの他人が突然きても気にしない。
どんどん自分で考えて質問してくるし、逆にこちらの質問に対しては積極的に説明してくれる。
国語(公用語の英語の綴りなど)では母音から三文字の単語を綴ることから始まり、子音の音、サイレントE(マジックE)などフォニックスをつかった綴りの仕組みを理解し文字を認識していくという作業。英語を聞いて話せても、音と文字を一致させる作業は彼らにとっては挑戦である。母国語だからといってはじめから読んだり書いたりすらすらできるわけではないと改めて知る。
同じようなことを日本で教えてもそりゃ難しいはずだわな。(日本の英語教育についてはまた別のブログで)
すでにひらがなカタカナ、漢字を使いこなす私たち日本人は、小学校教育地点でとにかく読み書きを集中して教えられる。
もちろん音読などもあるが、ノートに文字を書いて覚える、という作業の方が今考えると目立っていたと思う。こちらでも某く◯ん式が随分流行っているようようだが、とにかく自分で書いて覚える学習の仕方が主流になっている。
読み書きに関して言うと特に、漢字。
日本の小学校一年生で教わる漢字は80字、二年生になると倍の160字、そして三年生になると200字となる。この量はどんどん書かないと確かに覚えられる量ではなさそう。そう考えると今の時代パソコンや携帯やなんかを使いすぎて、見れば認識出来る漢字も書くとなると記憶の奥に消えかかっている文字を呼び起こすような状態になってしまっているのは実にもったいない。
話は戻るが、日本教育に比べ読み書きの量が圧倒的に少なく、そうとう練習でもしない限りそこへのモチベーションが成長過程で保てるかは不明。
さんすうは丁度掛け算の筆算を学習しているところだ。
「九九」のような記憶暗算システムを使わず、数字の仕組み(パターン)の理解を重視した学習方法が使われている。問題を時間内にひたすら解いていく前に数字が縦と横に順番に並んだ表から1個づつ、5個づつ、10個づつ増えていくとどうなるか、減っていくとどうなるか、というようなパターンから数字の仕組みを一から理解していく。例えば三つのアイスを買った子が三人いるとすれば、全部でいくつのアイスを買ったことになるか。
教えるのに手間と時間ははかかるし一見効率が悪いように見えるが、わたしには実はとても深い意味のある教育とわかった。テストで良い点をとるというゴールだけが目標ではない。どれだけ早くやったかだけが大切なことではない。何故そうなったのかを考えることは経験として蓄積されていく。
人生も同じように結果を出せばそれだけで良いという状況ばかりではない、その過程に必要なことがある。全てスムーズに答えを導き出せたらどんなに楽だろう。でもそれでは楽しみもない、やりがいもない。時には手助けが必要なこともあるだろう。
算数・数学と数のつく学問は実はわたしも昔から得意でなく何故それが必要なのかわからなかった多くの生徒のうちの一人だった。でもこれらの学問はいつも答えがある。学年がかわってもどれだけ公式が複雑になっても原則はシンプル。難解な数字に惑わされているだけ。
大切なことは順を追って一つ一つ確実に問題解決をしていくこと。数字に惑わされず考えること。それが大切。行き詰まったら最初に戻ろう。
案外そうゆうシンプルなことなのかも。
自分で複雑にしてるだけだったのかも。
受ける教育によってその後の人生でできることというのは大きく変わってくる。
色んな考え方が生まれる。
こうして二つの国の教育という視点から文化背景をを垣間見ることができる私は本当にラッキーだと思う。
Pink shirt day! Anti Bullying campaign
社会の中で起こるいじめをなくそう、他人におもいやりをもつという意味がこめたれたピンクシャツを着ての全校集会。
生徒主体のパフォーマンスが行われた。
結婚観
あなたは私を認めてくれる
あなたは私に自信をくれる
あなたは私を愛してくれる
そんな人がずっと隣に座っていてほしいとごく自然に思えた時、相手もそう思って、またそれを周りの大事な人達に認められた時それは「結婚」という、ある決まった型にはまることになる。
パズルのピースが当てはまるようなそんな感じ。
昔から結婚というのは私の人生で決して優先順位の高いものではなく、気持ちと法律が現実世界でどう結びつくかという疑問があった。
ディズニー世界のような甘い世界が現実のどこにあるのかと妙に冷めているところがあった。
私が二十歳の頃社会人になり、ブライダル関係の仕事に就くと、さらにその思いは加速していく。ウエディングドレスや着物、ティアラや揺れるイヤリングは可愛い。一生見ていたくなるほど美しい輝きを放つものもある。
私自身にももちろん楽しい恋愛の経験もあったけど、結婚となるとやっぱりどうしても現実離れしているとしか思えない。
疑問をなんとか解決しようと、担当したお客様になぜ結婚という選択肢を選んだのか本気で聞きまくってみたりもした。
答えは、◯年付き合ったからだの、彼の転勤が決まったからだの、適齢期だの、現実的なものばかり。
結局のところ、結婚は現実。夢物語なんかではなく、お互い全く違ったところから来た他人同士が家族になるという事実。そしてその後の人生をずっと一緒に過ごしていくことになる。
最近なんとなく理解してきた模様。
ある古くからの友人の言葉を思い出す。
この人はわたしの弱い部分を補ってくれる。無条件で愛してくれる。
そんな人が自分の旅路の中にふと現れた時、それは現実のものとなる。
Lift me up to the top!