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旅するようにくらす

明るく楽しい、旅するブログへよ〜こそ

時代にあった学び

瞑想やヨガを授業に取り入れるというのは面白い発想だ。


自分が幼稚園や小学生の時にリラックスの方法や息の仕方を教えてもらったかといえば、そんな記憶はない。

現代に生きる人は忙しく、情報社会の中にいて休む暇すらない。
忙しさが麻痺するとその方法すら忘れる。

自分に向き合って心を落ち着けること、自分の感情を表現すること、時にはコントロールしなければならないこともある。
自分以外の人にコントロールはできない。

これらは特に現代人に必要な知恵だと思う。

 

生きる力を持つことは、自分を理解し他者を認め、助け合うことに繋がる。

祝・旧正月

 恭喜發財 Gung Hay Fat Choy!!

旧暦の正月を祝う、中国語の挨拶だ。

中国を始め、日本以外のアジアの国々では旧正月というのは一年のうちで最も派手に祝う大事な祝日だと言える。

アジア人人口が多い北米西海岸でも各地でパレードなどが行われ盛大に祝われる。

 

アジア諸国で唯一新暦で正月を祝う我が国日本(一部の地域を除く)。

明治時代に新暦を取り入れ、大正時代の終わりくらいまでは旧暦の正月を祝っていたようだが、おそらく利便上の理由から新暦で1月1日の正月を祝うようになったのでは、と言われている。

近年では大型連休などに日本を訪れる中国人観光客の影響などで旧正月も浸透してきたようだが、やはり旧暦の正月を祝うというのは日本人としてはピンとこない。

 

 

そんなことで今日はクラスのみんなで旧正月をお祝い。

異文化を知ることは、他者を理解すること、コミュニケーションの力を伸ばすこと。

子どもたちが毎日どんどん成長していくように、私も前進するのみ。

 

 

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教室にはお祝いの飾りが・・日本でいうしめ飾り?

 

 

 

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工作やゲーム。漢字を教えてみたらみんな頑張って書いてた。

 

 

 

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新年の詩を読もう!

 

 

 

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中国茶作りに挑戦!どんな味がするかな?お昼には炒飯を作ってお箸で食べたね。

 

 

 

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  Learning makes progress....

自分の強み

誰しもが強み、才能を持っている。

それは、自分だけのもの。

ただ得意とか好きというだけのレベルではなく、もっと深いところにあるものだと思う。

 

それを生かした生き方ができればどんなにいいだろう。


例えば、趣味で○○をやっていたが、それが転じてビジネスをはじめ成功した、なんで話も聞いたことがあるはず。

 

しかし、自分自身でそれを知るには時に時間がかかる。
色々な経験や興味、視点を持つ事でわかることもある。
また他人の協力を求めるのも悪くない。ただ客観的な視点から気づいていることはないか聞いてみる。自分では気付きにくいこともあるからだ。
もしかすると自分だけの強みは一つや二つではないかもしれない。

 


勉強でいい成績を取る必要はない、十人十色、自分の個性を大切に。あなたはコミュニケーションを取るのが得意で友だちが多い。その人脈は財産で一生の宝だ。

そう言い続けてくれた親がいて私は幸せだと思う。

 

強みは努力をすれば作ることもできるかもしれない。それでいて、才能は作るものではく自分の中にすでに存在している何かなのである。


先日、こんな記事をみつけた。

www.huffingtonpost.jp

この先生の考えはよくわかる。

この子は自由時間に友だちと遊ぶという選択肢もあると知っていて、あえて好きな読書をするという選択をしている。彼女(もしくは彼)は「読む」という、誰でもが絶対的に得意というわけではない行動に価値を置いている。将来の社会性を心配して友だちと遊ばせようとするのはすごくよくわかるが、それは一種のコントロールでもある。


その行動は、将来の著名作家の時間を奪う行為かもしれない。
将来素晴らしい文章を書く記者の邪魔をしているかもしれない。


大げさかも知れないが、それが本人の「強み」になりえる個性かも知れないということを第三者が認めることは大事だと思う。特に子どもの教育においては重要なことではないか。

 

もちろんやるべきときにやるべきことをやるのは大切。ルールや秩序を守ることも必要。
でも自由時間の使い方は誰に決められるものでもなく、邪魔されるべきものではない。

 

その時間の使い方こそに、個人の強みを伸ばすチャンスが潜んでいる。

 

 

自分だけの価値に光をあててみる。

 

 

 

 

 

 

先生?それとも…

 その子の親でない限り完全な責任はこちらにないと無意識のどこかで思っていて、何かに頼っている。
問題をまぁいいや、いつか気づくだろうという勝手な責任放棄状態になって、それが大きく子どもに影響することを忘れる所だった。

 

昔ある友人から、お前は何を目指してるんや?教育者になりたいのか?

 

その時はぼんやり、私の夢はそんな大それたことではないと思っていたが、今ははっきりとその目指している所が見える。

 

今年から地元の幼稚園のボランティアをし始めた。入らせてもらっているクラスの先生はその道27年のベテラン。毎日先生からももちろん生徒たちからも学ぶことだらけだ。


子どもにとっての先生とは、親と接する時間より長く居ることもあり、ある意味親以上に影響力がある。
それ故、責任が伴う。

親以外の大人として、その一人の人間の人格や考え方を作る軸にもなりえるのだ。

 

では、「先生」としてどのように振舞うべきか。

 

ゲームや遊びを充実させ、生徒と友達のように親しくする。そういう「楽しい」を重視した授業に焦点を置く。

それとも、生徒が主体となって考えられるような本当の意味で学びのある授業を考える。もちろん前者は子どもは「楽しい」のだから、楽しむ。先生のことを好きになり、一緒に遊んでいる感覚になる。

それ故、自分の好き勝手な言動を始め、環境をコントロールしようとするものまで現れる。挙げ句の果てには、考えることを面倒くさいと思わせることにもなり得るかもしれない。

 

後者はより指導スキルや経験がいるのかもしれない。ただ生徒は先生を「先生」として見るだろう。例えば、やるべき時に勝手に振る舞おうとする生徒に、「今はダメ!!これをやりなさい。」とプレッシャーを与える代わりに、何が今大切で、何をしないといけないのかを問い、正しい選択をさせるのもその役目だ。

 

一つの授業に対してどちらの要素も大切だがそのバランスが実に難しい。的確なタイミングで的確な指導をしなければ、学ぶ意欲を削ぐどころか、先生の存在を認めてもらうことは難しい。

 

この人から何か学ぶことができそうだ、なにかを吸収したいと思わせることができたなら、確実にその存在価値はあると思う。

 

 

人間は本能的に学びたいという欲が備わっている。

 

プロになるには時には心を鬼にして、向き合わなければならないときもある。

 

 

 

 

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アートクラスにて、熊の絵を鉛筆で輪郭を描き、筆やスポンジでペイントしていく。

一つの説明から、何通りもの個性的なアートができる。

教育の持つ力

人の人格や考え方はどのように作られていくのだろうという私の中の永遠の疑問。

 

それを今年はより掘り下げて探っていこうと、あることを初めてみた。

現地教育機関でのボランティアだ。

ボランティアといっても私のできることは今はまだ限られていて、毎日が学ぶことの連続。

 

前から幼児教育に興味のある私に、ラッキーなことに長年の経験をもつ先生を紹介して頂くことができたのがキッカケだったのだけれど、この経験は今後の人生に大きく影響すると思っている。

 

まず、最初に衝撃だったのが、カナダでの教育方針は私が日本で受けてきた教育と全く違うという事実。もっとも学校によっても方針はさまざまだろうがあくまで私の体験に基づいた話。

 

欧米は物事に対する発想が自由で個性を認めあうことができる良いところがある。と聞いてはいたが、これまでも違うということに日本で曲がりなりにも英会話教師をしていた私にはショックだった。

 

具体的に例をだす。

 

例えば「自由時間」。もちろんそれも授業の一環だが、ただ遊ばせるだけではなく個人のスキルを伸ばすことに焦点を置いている。

もちろん、絵を描くのが得意な子もいればパズルを組み立てるのが好きな子もいる、ビー玉を転がすマシンを作ることに必死になっているグループもあれば、ままごとを楽しむ女の子たちもいる。

一つのことを無理やりさせることはない、これでなければいけない、ということもない。

それはまるで社会の縮図のようで、色んな子がいて当たり前と知らず知らずに認め合える環境がそこにある。多民族国家でさまざまなバックグラウンドをもつ子どもがいるという事も一つの要因だといえるだろう。

 

問題が起きれば先生が仲介に入って止めるのではなく、自分たちでどうすれば解決できるのかを考えさせる。

頭を打った子がいれば自分で頭をさすらせて呼吸を整える事を教える。やり方を教えて考えて実行させるのだ。

 

まだまだ脳の発達段階でそのような「自分で考える」教育を受ける事は重要な意味があると思う。

5.6歳の時点で教室ないし家庭で教えられたことは人格形成の基礎となりうると強く確信する。

 

 

古くからの歴史、伝統を重んじる日本の社会では常に誰か上に立つ人がいて、学校では先生、職場では上司、家では親など、位置付けることが当たり前で、誰かの指示で動く事が「普通」になっている。更に私たちは島国の単一民俗という事も手伝って、それが常識化し、出る杭は打たれる状態になっているのだ。

 

そしてそれが文化として根付いている。謙虚さ、品、和という日本独特の美しい文化がある一方、変える、変わるという事に時間を要するのも事実だ。

 

特に教育業界に焦点を置くとすれば、それの証拠にここ彼此10年以上前から討論され続けてきた「英語教育」に対する国の対応の遅さ。2013年から本格的に小学生に英語を教えるということになったが事実学校によってその教育基準が違うことが問題視されていたり、指導者不足、中高との連携などまだまだ問題が山積みだ。

それはあくまでも一例だが、前述した文化背景が社会、そして個人にも大きく影響しているといえるのではないか。

 

どちらが良い悪い、合っている間違っているという話ではない。

日本の教育は現に世界的にも水準が高いと認められている。そういう事情に気づいたことを生かして、その教育を受けてきた事に誇りをもち、他を真似するのではなくその良さをもって自分には何ができるのかを考えたい。

 

 

そしてそれはきっと誰もができる事ではないと、そう信じて子どもたちとの接し方を考えていこうと思う。

 

 

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Kids're doing their show and tell.

This is my new challenge and learnig.

 

一人一人が自分のお気に入りのアイテムを持参しそのアイテムの良さ、学びにつながるポイントを発表する。それに対しての質問やコメントを手を挙げて発言する子どもたち。彼らの主体性と失敗を恐れない度胸に拍手!

 

 

 

 

 

 

 

注意力散漫?

私はマルチタスクな人間ではなく、前々からちょっとドジでだらしないところがあると自覚はしていたが、最近えらく忘れることが多いし、一つのことをやっていると他のことが出来ないという事実に改めて気づいている。友達の話もまともに理解出来ないこともあるほどだ。

 

どうもただ疲れているとかいうレベルではないらしい。本気で「注意欠陥多動障害」という名の病名を調べてみた。

 

うーん。

でも、多分そんなんじゃなくて、単に脳を甘やかしすぎてるんだな。脳トレしないと、まじで真剣に。読んだり書いたり(しばらくブログもサボっていたし)計算したり、そうゆう訓練をしないと人間の脳は腐って行く気がする。腐る。

 

人間の脳は学ぶ用に出来ている。脳がなにか刺激を欲している。

 

 

 

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あぁ、脳が溶けそう…

 

夢の実現

学ぶことを忘れてはならない

 

戦うことを恐れてはならない

 

夢を諦めてはならない

 

 

ここカナダにきてそれらを体感し、誰のものでもない自分自身の人生を切り開いて行く楽しみを知った

 

 

時には、いつ落ちるかわからないロープの上を歩いている感覚に見舞われる

 

地に足がついていず、そこから少しでも踏み外すとどうなるかわからない不安感を一歩一歩の成功の喜びでかき消しているような感じ。

 

そもそも今渡っているそこにあるロープまでどのように辿り着いたのかすらわからない。それは運やタイミング、それから何かしら自分のして来た事と関わりがあるように思う。

 

一歩一歩が貴重で無意識に数えてしまう癖をもつ。

知らずに自分を追い込んでいるのかも。たまにぐらぐらと揺れるそのロープは安定という言葉をしらない。

 

わたしがそんな不安定な所を歩いていると知って手を差し伸べてくれる親切な人たち。

大丈夫、渡りきれるよ、と言ってくれる。

 

そして私は自信を取り戻す。

 

 

今年も残すところあと一週間。私にとっては、人生の節目、とも言えるような怒涛の2016年だった。

 

 

 

一歩一歩、大事に重ねてきた歩みを価値のあるものと考え、新年を迎えたいと思う。

 

 

 

 

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I am walking on this fantasy trail